大宮はこうして「鉄道の一大拠点」になった(東洋経済オンライン)



11/22(木) 4:30配信

東洋経済オンライン

 2001年5月1日、埼玉県浦和市・大宮市・与野市の3市が合併し、さいたま市が発足した。その後2003年にさいたま市は政令指定都市に移行。2年後には岩槻市も合併した。現在さいたま市は東京のベッドタウンとして発展を続けている。

 しかし、さいたま市を構成するエリア同士が融合したとは言いがたい。浦和はかつての県都。さいたま市役所の庁舎も元の浦和市役所庁舎だった。一方で、大宮は交通の要衝を武器にさいたま市の経済発展をリードしているという自負がある。大宮の浦和への対抗心には並々ならぬものがある。

 さいたま市になった旧大宮市域は、おおむね大宮区・西区・北区・見沼区の4区に分割された。大宮区は大宮駅を擁する、文字どおり大宮の中心地である。

■鉄道の街・大宮の歴史の始まり

 大宮を繁栄に導いた大宮駅は、1885年に日本鉄道の駅として開業した。日本鉄道は東京から高崎を結ぶ路線を建設。これは現在の高崎線にあたる。建設する順番は逆になったが、日本鉄道にとって高崎線は支線的な扱い。本線は東京と東北を結ぶ、現在の東北本線だった。

 高崎線の熊谷駅までを開業させた後、日本鉄道は東北本線を建設する準備を始めた。その際、どこから東北本線と高崎線とを分岐させるのかを決めていなかった。そのため、とりあえず熊谷駅から高崎駅に向かって延伸工事を進め、1884年に熊谷―高崎間を全通させた。

 そして、東北本線の着工が間近に迫ると、栃木県足利の実業家たちが、熊谷から線路を分岐させて足利へ至る路線案を熱望し、鉄道当局に誘致を働きかける。

 こうした誘致の動きに対して、建設責任者の井上勝は耳を貸さなかった。建設費・工期や開業後の営業利益などを総合的に試算した井上は、大宮で線路を分岐させるという決断を下す。ここから、鉄道の街・大宮の歴史は始まる。

 東北本線と高崎線の分岐点に大宮駅が開設されると、状況は少しずつ変化していく。明治30年代に入ると、それまで生糸の生産が盛んだった群馬県よりも開港地・横浜に近く、交通の利便性が高い大宮がクローズアップされる。

 1901年には長野県で製糸業を営んでいた片倉製糸が事業拡大のために工場を大宮に移転。そこから、大宮駅周辺には製糸場が続々と移転してくる。1904年には大宮館製糸所、1907年には大宮山丸製糸所、1911年には渡辺組大宮製糸所が続々と開所。大宮駅一帯は、“糸”の町と化した。

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