人気回復「熱海」に眠る幻のモノレール計画(東洋経済オンライン)



10/6(土) 6:00配信

東洋経済オンライン

 昭和の大観光地「熱海」。バブル崩壊以降の凋落が伝えられていたが、最近では元気を取り戻したという報道も目立つ。熱海は年間を通じて15回ほどの花火大会が開催され、多くの来客を引きつける。

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 熱海は、海あり山あり温泉ありという風光明媚な場所だが、JRを除く公共交通はバスとタクシーくらいだ。市街地は海岸沿いから急坂を登る細長い地形であり、平地が少ないのが特徴で、歩いての移動が容易ではない場所が多い。

 また、熱海は伊豆半島の付け根に位置するため、トップシーズンになると市内を縦貫する国道135号線の通過車両が多くなり、市内の移動の車、駐車場に入れない車などが重なり大渋滞を引き起こしている。夏の時期は、市内のバス停に「20~60分遅れることがある」という掲示がされるし、JR熱海駅から通常はバスで15分ほど(距離2.2kmほど)の熱海港(初島行、大島行客船運航)では、船に乗り遅れる客が多発し、注意を呼び掛けている。

■モノレール計画はいつ生まれた? 

 こうした市内交通の問題は戦後の高度経済成長期から指摘されてきたが、今も手つかずのままだ。しかし、何もしてこなかったわけではなく、実は1965年前後に「熱海モノレール」をJR熱海駅から熱海港より少し先のロープウェイ乗り場(1958年開業のアタミロープウェイ山麓駅)まで走らせる計画があった。環境破壊といった批判や政治的な闘争もあって結局は頓挫したモノレール計画の足跡を追ってみた。

 1964年、東京駅―新大阪駅間に東海道新幹線が開業し、熱海駅も生まれた。新幹線熱海駅開業により、来客数が増加し、市内の交通渋滞がより深刻になる可能性があることから、モノレール構想が生まれた。当初、東邦観光開発KKと、日本高架電鉄(現在の東京モノレール)や日立製作所などが出資する熱海モノレール株式会社の2社が名乗りを上げ、許可申請したが、運輸省(現在の国土交通省)は1963年12月21日に東邦観光開発の申請を却下し、熱海モノレール(株)に許可を出した(草町義和「熱海駅前の地下に眠る幻のモノレール駅」『鉄道ファン』2008年12月号参照)。

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