堀江貴文「将来への予想や心配に意味はない」(東洋経済オンライン)



10/5(金) 8:00配信

東洋経済オンライン

 世間的には「もう終わった」という声も聞かれるようになった仮想通貨だが、これだけ現金信仰の強い日本社会の中で、多くの人が「お金の正体」になんとなく気が付きはじめたという点では、非常に大きな意味があったと思う。

 お金も、仕事も、結局は自分を幸せにしていくための、1つの道具に過ぎない。でも、みんなお金や仕事に縛られすぎている。お金も仕事も今の形からは大きく変わっていくし、いずれ「なくなる」かもしれないのだ。

 20年以上前のこと。僕はパン工場で一晩だけ、商品の仕分けのアルバイトをしたことがある。焼き上がったパンをピッキングして、納品先ごとに振り分け、伝票と一緒にまとめる作業だった。工場内では数少ない、人間がアサインされている仕事だったと思う。当時でも、僕のやっていた作業を自動化することは可能だったはず。しかし、その工場では設備投資をするよりも、人を雇ったほうが安かったのだろう。

 それにしても苦行だった。何の面白さも見出せない仕事だった。自動化した設備で全部できる。単調な作業の対価が日当1万円とは……絶望的な気持ちになった。こんな割の合わないことはできない! と一度で辞めてしまった。それ以来、工場のアルバイトはやってない。

 設備投資せずに人間にやらせている無駄な仕事が、昔は本当に多かった。ニュースなどのアーカイブ映像で見ると、昭和のサラリーマンの仕事の大部分は、めちゃくちゃ無駄だったと思う。みんなよく耐えたものだ。まあ、すべて過ぎ去った時代の話だ。

 19~20世紀の先進国は、産業を効率化しなければいけなかった。自動車産業でも何でも機械化が進められていた。その反対に、パン工場のように機械化できない、あるいは機械ではコスパが悪い部分に人間がアサインされ、報酬を得る手段として、人々は仕事を受託していた。

■ロボットにはできず、人間にしかできないこと

 しかし21世紀以降はIT技術が発達した。効率的に機械化できる領域が増し、人は興味を持てる労働を選べるようになった。「機械の代わりに人が働く」時代から「人の代わりに機械が働く」時代への移行だ。

 人間が手間暇を割かないといけない現場は、みるみる減っている。人間はロボットにはできず、人間だけができることをしないといけなくなった。それは何か? 

 遊びである。21世紀は、仕事と遊びの境界が溶けてきている時代だと、僕は考えている。

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