クルマ社会沖縄に「ゆいレール」は根付いたか(東洋経済オンライン)



9/23(日) 6:00配信

東洋経済オンライン

 沖縄都市モノレール「ゆいレール」は、沖縄の玄関口那覇空港から那覇市中心部や新都心のおもろまちを経由し、世界遺産の首里城がある首里に至る路線だ。

【グラフ】ゆいレールの1日あたり乗車人員の推移

 ゆいレールは2003年に開業し、今年で15年目を迎えた。当初は重い設備投資がのしかかり、赤字決算が続いたが、2016年度決算でようやく単年度黒字を達成した。そして2019年夏には首里から「てだこ浦西」までの延伸も控える。そんな沖縄都市モノレールはいま、どういう状況にあるのだろうか。その現状を追ってみた。

■計画はアメリカ統治時代から

 2003年のゆいレール開業は、那覇市民にとっての悲願だった。アメリカ統治下の時代から長年にわたって計画されてきた軌道系交通機関導入がようやく達成されたからだ。

 ゆいレール構想の起こりは1965年に遡る。前年に開通した東京モノレールを見た、当時那覇市議会議長の高良一(たから はじめ)氏がモノレール建設を提唱したことから始まる。高良は現在の「国際通り」の名前の元となった「アーニー・パイル国際劇場」を戦後まもない1948年に作った、先見性のある人物だった。そんな高良の提案に、時の琉球列島米国民政府も関心を示し、高良に見積もりをさせた。この段階では工事費があまりにも巨額であることがわかり、一度は断念となった。

 しかしその後、沖縄返還が行われた1972年に「都市モノレールの整備の促進に関する法律」の成立・施行により財政面の支援が国から得られるメドが立ち、モノレール建設に向けた本格的な検討が始まった。

 そしてモノレールの形式の検討やルートの検討を経て、1982年に沖縄県への軌道事業特許の申請と、沖縄都市モノレール株式会社の設立が行われた。ゆいレールのルートはこの時点にほぼ確定していたといえる。

 しかし、思わぬ障壁が立ちはだかる。モノレール整備のためにはバス路線の再編が不可欠となり、そのためのバス事業者との合意形成に多くの時間がかかったのだ。本来ならば1987年の国体に合わせておもろまちまで開業、1990年に首里まで開業する予定だったが、バス路線再編成とそれに伴う補償によりバス事業者との合意に至ったのは1994年のこと。終わってみれば合意に10年以上の長期間が費やされたことになる。

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