「ファミコンブーム」にあれほど熱中した背景(東洋経済オンライン)



7/14(土) 8:00配信

東洋経済オンライン

最近は、報道などでもよく聞くようになった「eスポーツ」や「プロゲーマー」。
今から30年以上前、元祖・プロゲーマーともいえる存在で「ゲームは1日1時間」「16連射」の流行語を生み出し、マンガ・映画・アニメ、さらには子ども向け情報番組のレギュラーなど、子どもたちのヒーローとして活躍していたのが、高橋名人である。
最近、『高橋名人のゲーム35年史』も上梓した高橋名人に、今だからこそいえるファミコンブーム当時の裏話を語ってもらった。

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■高橋名人とファミコンの出会い

 1982年8月に私はハドソンに入りました。

 実は皆さんが思っているように、ファミコンがあったからハドソンに入社したわけではありません。ファミコンは私が入社した翌年の1983年に発売されていますからね。それよりも、パソコンのプログラムに興味があったからです。

 当時読んでいた、『月刊マイコン』というコンピュータ雑誌の表紙をめくると、ハドソンの広告が載っていたんです。

 コンピュータをやり始めたときにそれをずっと見ているので、「あ、すごい大きい会社だな」と思っていました。

 しかも住所を見ると、(札幌市豊平区)平岸というところで、高校時代の通学路の途中で近いというのもあって、名前は徐々に刷り込まれていました。

 私のファミコンの最初の仕事は、『任天堂のファミリーコンピュータ ファミリーベーシックがわかる本』という本の制作だったのですが、その仕事が終わったあと、「今度ハドソンでもゲームを出したいよね」という話になり、ゲームを作り始めました。そこで、第一弾として、『ロードランナー』と『ナッツ&ミルク』というゲームを作り始めます。

 最初の作品なので、2本ともにハドソンのオリジナルがいちばんよいのですが、「売れないと倒産するよね」ということで、「1本は、今、有名なやつがいいんじゃないの」という話になり、当時、世界的に『ロードランナー』がはやっていたので「じゃあ、これ面白いから、これでいこう」ということになりました。

 ファミコンに移植するときに、「ほかのゲームと同じように、1画面で全部わかるのはキャラが小さすぎて面白くないから、キャラクターをマリオぐらいの大きさにしたほうがいいのではないか?」という話になりました。でもそうすると、どうしても画面が狭くなっちゃうので、ステージ全体を表示させるためには、スクロールさせなければなりません。

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