信玄餅でおなじみ、山梨で輝く 創業130周年の桔梗屋に息づく起業家精神(SankeiBiz)



 1889(明治22)年に甲府市青沼(旧若松町)に産声を上げた和菓子製造販売の「桔梗屋」が来年創業130周年を迎える。1968(昭和43)年に誕生した山梨を代表する銘菓「桔梗信玄餅」を中心に、飲食店、花卉(かき)店、テーマパーク運営など事業多角化を進めてきた。経営の原点には、桔梗屋“中興の祖”として2010年まで4代目社長を務めた中丸眞治相談役(68)の“起業家精神”が息づく。

 ◆年中食べられる餅

 第二次世界大戦で営業を中断した桔梗屋は戦後、旧若松町の甲府本店で事業を再開した。昭和30年代前半まで甘い物が不足し、和菓子景気は良かったというが、生活様式の洋風化とともに洋菓子ブームが到来。「経営が厳しくなり、従業員が辞め家族経営に戻った」(中丸氏)。

 1967年、中丸氏が高校3年の冬、両親に提案したのが、静岡名産で、黒蜜ときな粉をまぶす「安倍川餅」の通年販売。

 「山梨でも旧盆中にしか食べないが、いつでも食べられるようにしたい。『小瓶の黒蜜をつける』『1個ずつ風呂敷包みの形に包装する』などの工夫をし68年夏、発売した」(同)

 購入者からは反響が出始め、中丸氏は甲府の岡島百貨店へ売り込んだ。担当者は「将来、銘菓になる。大福1個10円だから、1個25円、10個入り250円で売ろう」と言った。中丸氏は甲府市内、国鉄の鉄道弘済会や全国の物産展などへも精力的に営業攻勢をかけていった。

 発売時に1日5000個の生産量だったのが6年後には5万個、現在は12万個だ。68年、2000万円だった年商は、70年に1億2000万円、今やグループの総売り上げは93億円にのぼる。

 ◆積極的に事業多角化

 中央自動車道一宮御坂インターチェンジから車で約5分。桔梗屋の工場見学者は年間160万人に及ぶ。担当者は「工場見学のほか、桔梗信玄餅の包装体験、消費期限切れが近い商品などの『お菓子の詰め放題』が、朝から行列ができるほどの人気です」と説明する。

 工場見学は90年、手狭になった甲府市内から、現在の笛吹市一宮町の工場へ移転と同時にスタート。中丸氏は「小学校の社会科見学に使ってもらおうと始めたが、その後、一般開放し、旅行会社のツアーに組み込まれるなど広がった」と話す。

 工場敷地内では2001年に、日本初の「お菓子の美術館」をオープン。03年、全国に先駆け、形崩れや消費期限切れの近い商品などを安く工場で直売する「アウトレット」を始めた。「『安売りはブランドを傷つける』と反対された」が、民放キー局の放送が相次ぎ、評判は首都圏など県外へ広がっていった。

 店舗は現在、県内主要地域の直営販売店25店、飲食・花卉販売など他業態の併設店10店。約20年前に花屋併設の『美術館通り店』をオープン。笛吹市の工場敷地内では、そばほうとうの郷土料理店「水琴茶堂」やレストランを開設した。さらに、県立フラワーセンターの指定管理者の公募に応じ、25万球のチューリップなどで知られるテーマパーク「ハイジの村」(北杜市明野町)の運営に乗り出した。

 一見すると、積極的な事業多角化と映るが、中丸氏は「必要と思ってやった結果、そうなっただけ」と否定しこう続ける。

 「風呂敷包みや、アウトレットの発案にも反対意見があった。だが、自分が本当に必要と思うことを追求し、人がやらないことを成功させれば、『大当たり』する。それが事業のおもしろさ。ありきたりのことだけをやっていても発展はない」。

 伝統にあぐらをかかず、“起業家精神”を持ち続け、英断する。中丸氏の言葉に、桔梗屋成長の軌跡の原点が垣間見えた。(松田宗弘)



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