トヨタ・パブリカ パブリック・カーを目指して開発 あの時代を駆け抜けたクルマたち(日経トレンディネット)



日経BPnet セカンドステージに「くるまのわざ」として連載していたものを再編集して掲載しました。初出は2006年7月13日です。記事の内容は、執筆時点の情報に基づいています。

【関連画像】パブリカのエンジンは空冷水平対向2気筒。ひとりで持ち上げられるほどの軽量エンジンだった。のちにツウィンキャブなども追加された

 お馴染みのドイツ車VWは「フォルクスワーゲン」つまり、国民のクルマという意味だが、同じように大衆のためのクルマ=パブリック・カーを目指してつくられたのが、トヨタ・パブリカだ。1961年に誕生して、途中から加わった姉妹車、スターレットに吸収されるかたちで1978年にフェードアウトした。

 つまり、その時期はわが国で自動車が広く一般家庭に浸透しようとしていた時期、ということである。しかしながら、パブリカは最初の思惑とはちょっとちがうマーケットであることも発見したのではないか。パブリック・カーの役を終えて、その名が消滅して30年、歴史を振り返るといろいろ面白いことが解る。

 技術的にも多くを切り詰めて、安価に経済性重視でつくられたパブリカ。だが、マーケットが期待するものは少しちがうところにあったようなのだ。

国民車育成要項に基づいて試作される

 1955年5月、通商産業省が「国民車育成要項」を発表した。

 それは、

1. 最高速度100km/h以上。乗車定員4人、30km/Lの経済性。

2. 月産2000台として、工場原価15万円以下、最終価格25万円以下。エンジンは300~500cc。

3. 通産省はこの条件で量産化に相応しい1車種に財政資金投入を考える。

 というものであった。第1回目に紹介したスバル360とともに、その案に呼応してトヨタは1956年に試作車「1A1」を発表する。パブリカのタネになるような存在である。それは、空冷水平対向2気筒エンジンを搭載したFWD、スペックだけいうとフランスのシトロエン2CVに範をとったような小型車であった。

 それから発売までの5年間、エンジンこそ同じ空冷フラット・ツインであったが、当時の標準であった後輪駆動に改め、スタイリングも大いに洗練させるなどの改良に次ぐ改良が施され、1961年にパブリカは発売される。UP10型と呼ばれた初代パブリカは、697cc、28PSエンジンで、580kgの車体を最高速度110km/hまで運んだ。ちなみに価格は38.9万円だった。

 しかし、その意欲とは裏腹にパブリカの当初の売れ行きは芳しからざるものであった。ライヴァル・メーカーのブルーバードが人気だというのに、それより安価なパブリカは売れない。結局、販売が軌道に乗ったのは2年後に、パブリカ・デラックス、パブリカ・コンヴァーティブルといった上級モデルを追加してから、だった。

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