名門高「都内私立優位」という大いなる錯覚(東洋経済オンライン)



■「私立優位」は中学受験文化が発展した地域限定

 雨粒が大地に落ち、一筋の流れをつくる。ひとたび流れができると、雨水はことごとくそこに集まるようになる。集まる水が多くなれば多くなるほど水が大地を削る浸食の力は大きくなり、やがてそれが川となる。川はやがて谷や平野を形成し、いちどできた川の流れは、そう簡単には変わらない。いわゆる「水路づけ」である。

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 これと同じことが、進学における「進路」にもいえる。優秀な子どもたちが集まる「進路」がひとたびできると、ますます優秀な子どもたちがそこに集まるようになり、進学の「王道」が形成される。「王道」はあるいは「エリート街道」とも呼ばれる。一度できた「王道」は、そう簡単には変わらない。

 東京発全国区のマスコミの報道だけを見ると、都内有名私立高校から東大へ進学することが「王道」であるかのように錯覚させられる。全国的に注目度の高い東大合格者数ランキングの上位を、そのような高校が占めているからだ。

 しかし「私立優位」は、東京などごく一部の、中学受験文化が発展した地域における特殊な状況である。いわゆる地方都市においては、公立高校の優位が続いている。「水路づけ」ならぬ「進路づけ」のパターンが、首都圏と地方都市では違うのだ。

 実際、必ずしも全国区で名が知られているわけではないけれど、地域の誇りと期待を担った「ご当地名門校」としての貫禄を感じさせる公立高校が多数ある。そのような高校を訪ねると、開成や灘を訪れたときに感じるのと似た空気を感じることがある。首都圏に生まれ育っていればおそらく私立名門校に進学していたであろう秀才たちが、地方においては公立名門校に集う。

■東大合格者数だけではわからない高校の進学力

 1877(明治10)年に原初の東京大学ができた。以来長らく日本唯一の大学であった。日本各地から優秀な人物を東大に吸い上げるように全国の学校がネットワーク化され、「優秀な子どもは東大に行く」という“文化”が日本中に広まった。それが日本人の無意識に刷り込まれているために、わたしたちはいまでも「東大」を過剰に意識してしまう。

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