事業承継物語 “跡継ぎ”はつらいよ 「世襲社長の育て方」(日刊工業新聞電子版)



■「10年計画」東成エレクトロビーム会長・上野保氏
 「経営者が配偶者に経理を任せるような経営は良くない。息子たちが将来、自分の妻や彼女が資金繰りに苦労する姿を想像させてしまうから」―と解説するのは東成エレクトロビーム(東京都瑞穂町)会長の上野保だ。同社は全国でも有数の産業クラスターである通称“TAMA協会(首都圏産業活性化協会)”を代表する企業の一つだが、最初から自社製品、自社ブランドを持つ強い会社ではなかった。

 「広域連携など多くの知恵を結集できたのも成功のポイント」と道のりを振り返る。その先にあったのが、後継者への引き継ぎだが、上野はその際も10年計画を立てた。

 上野自身が歩んだ道も平たんではなかった。新潟県出身で、サラリーマン技術者から一代でグローバルニッチトップ型企業を育て、今でこそ国にも苦言できる立場の経営者だが、千葉工業大学を出て入った会社ではさまざまな経験をした。そこでの苦労が独立後には生きるのだが「やらされている時は必死だった」と振り返る。

 長男の邦香に経営者として同じ経験をさせる訳にもいかないことから、「中小企業大学校で経営を学ばせ、同世代の悩みを抱えていそうな仲間を見つけさせた」と話す。

■「戦争経験が糧」菊地歯車会長・菊地義治氏
 豪放磊落(らいらく)な上野と比べ、慎重であり真面目さが周囲を納得させる力になっている菊地義治は、航空機分野も強化している菊地歯車(栃木県足利市)の会長で実質2代目経営者。将来の発展の要となる3代目には次男の義典を選んだ。「住友生命保険に進んだ長男は子どものころ工場や機械に関心がなかった。それが義典は喜んで会社に遊びについてきた」という。

 自身は自宅から通える群馬大学工学部で学んだが、義典は早稲田大学理工学部に進み、大手重工企業で修業を積むはずだった。ところが、バイクの事故で足にけがをしたこともあり、「他社で迷惑をかけられない」と最初から自社で働かせた。

 会長の義治は戦中派。創業者だった父親は第二次世界大戦のおり、南方で戦死した。父と経営について語り合える年齢ではなかったが、算数を苦手にしていた時期「戦地から寄せられた手紙を母に手渡されて、考えを入れ替え努力した」思い出がある。前線で戦う父の背中に説かれる格好で勉強に励んだのだ。

 戦時中は母方の郷里である群馬県太田市に疎開したことで、逆に空襲も経験。死地を知ったことも義治には大きな経験となった。

≪おごらない経営≫
 同社の本社玄関には創業当初の工作機械が置かれ、正門近くでは孔子の霊廟(びょう)のカイノキを苗木から育てている。儒教の「仁」の精神を経営に取り入れたおごらない経営が実を結んでいる。

 後継者教育で上野保は、仕事で連携するスズキプレシオン(栃木県鹿沼市)の会長、鈴木庸介(つねよし)と助け合う。互いの息子の面倒を見ることで、父は息子を知り、息子は親の苦言の有り難さを学んでいる。



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