「自分の子を苦しめる親」に欠けている記憶(東洋経済オンライン)



10/5(金) 9:00配信

東洋経済オンライン

沢木耕太郎、と聞いて真っ先に思い浮かぶ言葉は「旅」という人は少なくないのではないか。1986年に発売された旅行記『深夜特急』(最終巻は1992年発売)は、1980~1990年代の若者、とりわけ、バックパッカーから絶大な支持を受け、その後の旅の仕方にも大きな影響を与えた。
その沢木氏の25年分の全エッセイを掲載した『銀河を渡る』が9月27日に刊行された。『深夜特急』や『一瞬の夏』などヒット作の創作秘話や後日談、美空ひばりや檀一雄との思い出話も収録されている。日本を、世界を移動しながら、自身も40~70代へと旅していく沢木氏の好奇心はとどまるところを知らない。今回はその中から、2005年1月の「『いのち』の記憶」を掲載する。この週末、あなたも沢木氏とともに「旅」に出てみてはどうだろうか。

■子どもながらに不思議に思っていた

 子どもの頃、朝早く起きなくてはならないことがあると、私は父によく頼んだものだった。

 「明日の朝、起こしてくれる?」

 そう言って、起こしてもらいたい時刻を告げる。すると、父はうなずき、それがたとえどのような時刻であっても必ず起こしてくれた。私は起こしてもらうたびに不思議に思ったものだった。お父さんはどうしてこんなに早い時間に起きられるのだろう? 

 やがて、私も父親となると、子どもに頼まれることになった。

 「明日の朝、起こしてくれる?」

 そして、気がつくと、子どもに言われた時刻に起きて、子どもを起こしている自分がいた。自分が親になってみると、子どものために朝早く起きるなどということは、少しも難しいことではないことがわかる。しかし、起こされた子どもの眼には、おそらく子どもの頃の私が浮かべていただろうものと同じ種類の不思議そうな光が宿っている。

 お父さんはどうしてこんなに早い時間に起きられるのだろう? 

 もし、子どもに面と向かってそう訊ねられたら、どう答えていただろう。大人になると目ざとくなるのさ。あるいは、大人になると責任感が増すのさ、とでも答えていただろうか。しかし、どれも違っているような気がする。親にとっては子どもに頼まれたことをするのが少しも苦痛ではないのだ。もしかしたら、それは「喜び」ですらあるかもしれない。

■睡眠や食物を削るのは、「生命」を削ることと等しい

 あるいは、私の子どもの頃の食卓での記憶に、こんなものがある。食べ盛りの私のおかずの皿に何もなくなってしまうと、母が自分の皿から肉や魚を私の皿に移してくれて、言う。

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