12年前の苦い記憶、加地亮が語るドイツW杯(東洋経済オンライン)



 3月23・27日にベルギー・リエージュで行われたマリ・ウクライナ2連戦を1分1敗という不本意な形で終わった日本代表。4月9日にはヴァイッド・ハリルホジッチ監督解任という不測の事態が発生。西野朗(あきら)技術委員長がチームを率いることになった。

 2018年ロシアワールドカップまで2カ月という時期の指揮官交代は大きなリスクも伴うが、2006年ドイツワールドカップに参戦した元日本代表の加地亮(かじ あきら)は「西野さんはチームのバランスを取れる監督。選手のモチベーションを上げるのもうまい。短期間でも積極的にコミュニケーションを取ってチームを変えてくれると思う」とガンバ大阪時代の恩師の手腕に期待を寄せた。

 国際Aマッチ64試合2ゴールという偉大な実績を残した加地が代表右サイドバックを担ったのは、ジーコ、イビチャ・オシム、岡田武史(現FC今治代表)という3人の指揮官が率いた2003~2008年にかけてである。

 2003年当時、日本の右サイドバック候補には2002年日韓ワールドカップに参戦した市川大祐(現清水エスパルス普及部)、浦和レッズで活躍していた山田暢久らがいたが、彼らがJリーグヤマザキナビスコカップ(現ルヴァンカップ)準決勝優先となったこともあって、2003年10月のチュニジア(チュニス)・ルーマニア(ブカレスト)2連戦に彼が抜擢された。そこでジーコの信頼を手にし、2004年アジアカップ(中国)優勝に貢献するなど、加地は絶対的地位を勝ち得ていった。

■みんなを助けて黒子として働くことに集中

 「僕が定着できたのはホントに偶然の積み重ね。ジーコジャパンにはヒデ(中田英寿)さんや俊(中村俊輔=J1ジュビロ磐田)さんみたいな、うまくて個性の強い選手がたくさんいた。自分は底辺にいる人間だったし、実力も分かっていたんで、ひたすら右サイドをアップダウンすることに集中していました。下手なりにみんなを助けて、黒子として働くことだけを心掛けていたんです。

 代表時代の最も印象深い試合は、2004年10月のドイツワールドカップ1次予選・オマーン戦。1チームしか最終予選に勝ち上がれない重圧が漂う中、アウェーで勝って安堵感を覚えた記憶があります。ワールドカップ予選はプレッシャーと緊張の連続。つねに大変さを感じていました」と本人は述懐する。

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